初めて「今週のお題」に投稿するCATと言います。
普段から英語は使用してますが、英語について考えたことって、ここ最近ないんですよね。良い機会だしちょっと書いてみようかと。
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幼少期から高校
小さい頃は田舎育ちで英語に触れる機会なんて自分にないだろなって思ってた。自分の地域には、米軍施設がありスポーツクラブに行くとアメリカ人の女の子がいました。目がクリクリして可愛いので、話してみたいと思ったのですが英語自体聞いたことなかったし、ジェスチャーで遊んでたくらいですね。
それを見た母親が英語の塾に連れて行ってくれて、勉強した記憶がありました。そんなに身に付いてとは思っていなかったのですが、小学校から勉強していたので中学校では割と簡単に付いていけ高校でも英語は得意分野になってたかな。
ここまでって、どこにでもいる普通の学生って感じ。ただ自分の大好きだった子が大学受験する時にはどこ行くんだろって気になって、大学も同じ地域に行きたいなって思ってた。聞いたらカルフォルニアに行くんだって。。。どうやっても同じ地域に行けないやってショック受けて泣いた記憶。
自分にとっては海外なんて考えもしなかったし、両親も海外はおろか俺を他県に連れて行く事すらなかった。『鎖に繋がれていないけど、自分がどれ位遠くに行けるのか認識する事も出来ず庭を走る犬』みたいな感じだったんだろな。
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大学でカナダ
どこにも旅行した事もほとんどない俺は、大学1年生の時にお金を50万必死でバイトで稼いでカナダのバンクーバーに行ったんだ。思えば自分で何かしたいって思って稼いだお金を使って行ったのって、あの時が初めてだったんだろな。
自分のクラスは韓国人やメキシコ人が多かった記憶。今じゃ何勉強したのかも覚えてない。せっかく自分で稼いだ金で行ったから、出来るだけ学びたいって思ってた。少し話したメキシコ人女の子が「日本人は日本人だけ話すのね。あなたは違うみたいね。」って言われたのは何となく覚えている。仲良くなった韓国人とドイツ人と一緒にアメリカにバスケットボールを見に行った。今思えば良くコミュニケーション取れてたねって過去の自分に言いたいw
しばらくして、日本戻ったら英語の塾講師してた。留学してメリットあったのは、これ位かなw海外の大学で単位取りたくてオランダの交換留学の試験受けて受かったんだけど、父親が許してくれなくてさ。自分で勝ち取った交換留学なのに、サインしてくれなかった。彼は俺が海外に行く事なんか望んでなくて長男は家をつげとさ。正直恨んでる。
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仕事で通訳から海外のプロジェクト
大学が3年になったら就職活動しなきゃいけないんだけど、妙にやる気なくてさ。就職活動全くしてなかったし、やりたい事なかった。今思えば、もう少し考えた方が良かった。色んな仕事があって自分が興味を持てる職業もあったのにね。推薦取れた上場企業も辞退して試験受けたら受かった公務員になったよ。
公務員になった時に語学の試験があってさ、県でもずば抜けて成績が良かったらしくその地域で10人位しかいない通訳要員に決まった。割と決められたレールでは、成績が良かったんだけど、どうしても性に合わなくて辞めたんだ。
辞めて運良く商社関連に就職したんだけど、海外案件ばかりでさ突然中国で合弁会社との契約関連の会議に3日突っ込まれた。中国語と英語が飛び交う会議でほぼ無理やり議事録を英語で書いてた。
それが上手くできたら、インドネシアやタイのプロジェクトを担当して仕事が全部英語になった。。。タイ語はいきなり話せないしね。今思うと、結構変わった人生しているね。まだそんなに年取ってないけど。
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私と英語
今は映画館に行って普通に英語で映画を見てユーチューブで情報を仕入れる時は英語の番組でも困ってない。海外で働いているから分かるけど、ちょっと専門的な事調べようとすると英語圏の方が圧倒的に情報がある。
英語以外でも良いけど、複数の言語が話せるようになると良質な情報を仕入れる事ができるし、自分の選択肢が広がる。株や投資関連をするにしても圧倒的に知識を増やす事ができる。
多くの人は「英語の勉強法」に興味をもったり、「これからは英語を勉強しないと❗️」って言うけど、実際どんな風に変わるのだろうかって疑問に思う人もいると思う。俺にとっては英語は単なるコミュニケーションや情報収集のツール。でも、もし俺が英語が全く出来なかったら公務員を辞めた後、世界を飛び回って仕事を出来たか?今の生活以上の生活が出来たか?って言われるとNOだなぁ。
今話した内容は英語を他の人よりも少しだけ勉強した人が「うまく行った一つの例」?だと思っていただければ幸いです。
それでは!
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